プロフェッショナリズムとポピュリズム
2010年11月11日 日本歯科評論掲載
プロフェッショナリズムの崩壊とポピュリズムの台頭
「〇〇先生がおっしゃるのだから間違いないよ!」「あの先生がやってダメなときなしょうがないよ!」「〇〇先生の言うとおりにしていれば、大丈夫だよ!」―かつての患者の声が懐かしく感じられる。皆が身体のことはすべてお医者さんに任せっぱなしにして、医者が町の有識者としてのご意見番の役目も担っていた時代では、"医者"に威厳があり、厚い信頼が寄せられていた。 アナクロニズムな幻想を抱いているのかもしれないが、患者は今でも"本当は医者にすべてを任せたい"と思っているのではないだろうか? インフォームドコンセントという言葉を患者自身が用い初めた頃から、医師に対する信頼の失墜、つまりプロフェッショナリズムも崩壊し始めた。絶対的信頼を集めていた医療に、それを担う医師や歯科医師に対する信頼を揺るがす要因を、われわれプロフェッショナルが創りだしてしまったのだ。 そして避難の声が上がり、メディアが煽り、司法が裁き、ネットを駆け巡る。 大衆が瞬時に情報を得て物申す時代となった。 皆が医者から十分に説明を受けられない時代、患者にじっくりと丁寧に説明してあげると、それだけで大変喜ばれた。今は、リスクも含めて徹底的に説明しておかないと、後で「聞いていなかった」と文句を言われるだけでなく、「説明義務違反!」とさえ言い出しかねない。 依然に説明したことがあっても患者はすぐに忘れてしまうので、書面で手渡す努力をしていうものの、すぐになくしてしまい、もらったことすら覚えていないこともある。 説明して、手渡して、署名をもらって記録を残して......と責任回避作業に追われても、医療の本質から遠ざかるだけで、医療の質の向上には何も貢献できないのだ。 さらに、"患者本人が理解した上で医療を受けているのだから"と医者との信頼関係が確立されているのかと思いきや、家族や友人、あるいは他の医者の一言でたちどころに暗転させられてしまう。 ポピュリズムが台頭し、患者自身も大衆迎合せざるを得ない世の中になってしまったのだろう。 患者自身、説明された内容自体は理解できても、医者レベルの理解には程遠いはずである。 それにもかかわらず、治療方針や治療方法を自分で決めていかなければならない。 しかも、説明を受けた内容の中から......。選択肢を増やそうとセカンドオピニオンを求めるあまり、より迷いを増やしてしまうことのほうが多い。挙句の果てには、医療の本質的な内容や医者の意見よりも、同じ悩みを抱える患者や友人の意見、ネット上のコメントなど大衆の意見を尊重して、感情で意思決定をしてしまうことも多々あるように思われる。 われわれ医師や歯科医師の判断にセカンドオピニオンやネットで一般人が参加する現況に、弁護士や裁判官の判決に裁判員として一般人が参加する司法の現況が被る。 広く意見を求めることに全く異論はなく、論理的にも納得のいく風潮であり制度であることには間違いない。 ただ、裁判員制度や今の世の中の風潮が、"本当に効用の期待できるものなのか"と心にしっくりしないところがある私は少数派なのだろうか?