"食育"-食を経済行為で扱ってしまった代償
2012年12月1日 DENTAL DIAMOND掲載
"食育"――食を経済行為で扱ってしまった代償
かつて畑にはたくさんのミミズがいて、四六時中せっせと畑を耕してくれていました。田んぼにはドジョウやタガメなどのたくさんの種類の虫たちが共生し、害虫を食べてくれていたものです。何千年もの間ずっと繰り返されてきた稲作も、何万年もミミズが耕し続けてきた畑作も、わずか数十年という人類の歴史のなかでは一瞬に等しい期間で大きく様変わりしてしまいました。 美味しい作物が穫れる畑には必ずミミズがいるという話はよく聞きますが、"進化論"を唱えたダーウィンの晩年の研究がミミズであったことはあまり知られていないかもしれません。古代遺跡が必ずといってよいほど地中から発見されるのも、その犯人はミミズだということをご存知でしょうか。土壌を年に3㎜盛り上げるだけでも、2000年も経てば6mにもなるわけですから、放置された遺跡が地中に埋まってしまうのも無理はありません。 田舎道をドライブしていると、町外れや田畑の真ん中に、周りの樹木とは隔絶した巨木が生い茂っているところが目に入ることがあります。近づいてみると、必ずといってよいほどその巨木の下には祠やお墓が存在しています。その昔、人一人土葬すると、どれだけの栄養分が土壌に浸み込んでいたのかを想像させられます。 戦後、米が主食だった日本の食文化に変化が生じました。学校給食ではパンの味を子どもたちに教え、小麦の需要を高めることでアメリカは日本へ余剰小麦の輸出を可能にしました。そして現在、日本のカロリーベースの食料自給率は39%。戦勝国アメリカは当然120%台を維持して今でも土葬ですが、敗戦国日本は火葬に切り替わりました。巨木を見るたびに、肥沃な土壌こそ繁栄の源だと脳裏をよぎるのです。 食育基本法が制定されてから、歯科医師は" 食育" に対してどのようにかかわるべきかが議題に浮上しています。口腔領域の健康を育むために、ただ単に食事のメニューや栄養バランスという観点から食材を論じたり、栄養補助食品の効果的な摂取方法を提供したりしたところで、根本的には何も変わりようがありません。
食品の経済的価値
現代の食品はグローバルな市場原理の枠組みのなかで取り引きされ、その生産においても最も安く作れる地域や国で作られ、それを求める地域や国へと出荷されていきます。ある地域や国で異常気象によって生産不良が生じたり、エネルギー価格の高騰によって食糧輸送が滞ったりした場合は輸出能力が低下します。当然、偏った作物に特化してきた地域は取り残され、その地域の住民の食べる食物すら確保できなくなり、輸入に頼らざるを得ない状態になり得るのが現状です。 個人あるいは自国でまかなえる量を超えた余剰作物は、いかに他人や他国に売りつけるかといった経済活動の商品と化し、食品を求める消費者も"安く"て"おいしく"て"量の多い"ものを追い求めます。消費者は1円でも安いスーパーマーケットに流れ、少しでも美味しい食品を求め、少しでも大きいスーパーサイズに心を奪われていきます。そして訪れたのが肥満人口の急増です。しかし、この地球上には、栄養過多の人と同数の栄養不足の人が存在しています。これだけ食べ物が溢れていても、全く飢えの根絶には至っていないのです。更に、外食産業の普及は家庭での一家団欒という食事の機会を減らし、職場のデスクや家でも一人で食事を摂る機会を増やしました。つまり、余剰食物は都市化や職業の専門化、社会的不平等、絆の喪失という、さまざまな文明の産物を作り出してきたわけです。 こうした我々消費者の欲求や行動は、時に無神経に、時に無関心に小売業界の競争を激化させて彼らの利幅を狭めています。一方、小売業界は生き残るために集約化させ、サプライチェーンも集約化を加速させます。そして、その容赦ない値下げ圧力によって食品メーカーも大規模化によるスケールメリットに頼らざるを得なくなり、合併に次ぐ合併を繰り返します。更に、安い原料の追求だけでは乗り切ることができなくなり、効率的な設備、効率的な労働力を求めて発展途上国に進出するなど、徹底的なコスト削減を迫られるようになります。そして、最終的には生産者の生活を追い詰めてしまいます。手間暇かけて作物を作っても、赤字では生活が立ち行かなくなります。虫に食われた跡のある作物や形の不揃いな作物に商品価値がなくなってしまうのであればと、必要に迫られて大量の農薬や化学肥料を使わざるを得ません。自分のうちで食べる作物を作る畑と出荷するための畑を分ける気持ちも、農薬や化学肥料のことを知れば知るほど理解できます。 グローバリゼーションのお膝元アメリカでは、鶏の生産業者も薄い利幅に太刀打ちするために大きい鳥の遺伝子に頼り、飼料もでんぷんやタンパク質に加えて抗生物質の配合もコンピュータで行っています。そして、大規模加工処理工場ではフルオートメーションで1分間に50~100羽という速度で、屠畜、羽抜き、内臓処理までを機械がこなし、人件費を削減しています。また、米国民の嗜好が豚肉から鶏肉に移ったことに対抗して、毎時2,000頭の豚を処理する世界最大の豚肉処理工場を誕生させ、コストを極限まで抑えて鶏肉需要に応戦しようとしてきました。 このように"食品の経済的価値" は、"よりよいものがいつでも安くたくさん手に入る"という価値であり、それはデパートの地下の食品売り場や深夜でも買うことができるスーパーマーケットに並ぶ食品群を見るかぎりにおいて、グローバリゼーションは確かに食のシステムの全盛期を創り上げたかに見えます。