- 資格
- 歯科技工士
日本歯科技工学会 認定士
日本歯科色彩学会 認定士
日本歯科技工士会 認定講師
日本歯科顎咬合学会 常任理事 愛歯技工専門学校 名誉校長
クワタカレッジ 校長
ボストン大学歯学部 客員教授
天津医科大学 客員教授
日本歯科審美学会(JAED)顧問
アメリカ歯科補綴学会(AP)フェローメンバー
アメリカ歯科審美学会(AAED)ライフフェロー
アメリカ歯科審美協会(ASDA)フェローメンバー
国際歯科セラミック学会(ISDC)フェローメンバー
国際歯科学士会(ICD)フェローメンバー ヨーロッパ歯科審美学会(EAAD) 名誉会員
ネパール歯科審美学会(NACAD) 名誉会員
韓国歯科審美学会(KAED) 名誉会員
- 略歴
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- 1956年 3月
- 愛歯技工専門学校 卒業
- 1956年 4月
- 愛歯技工専門学校 勤務
- 1957年 1月
- 歯科技工士 国家試験 合格
- 1962年 11月
- 愛歯技工専門学校より米国へ派遣 留学
- 1962年 11月~
1963年 11月 - ニューヨーク州 マウントヴァーノンラボラトリー 技術員
- 1963年 11月~
1965年 12月 - ニュージャージー州 セラミキャスト デンタルラボラトリー 技術員 アメリカンソメクラフト社 研究員
- 1964年 6月
- 全米歯科技工士学術会議 認定講師
- 1966年 1月~
1967年 3月 - 愛歯技工専門学校 ポーセレン科 技術員
- 1967年 3月~
1972年 3月 - ニュージャージー州 セラミキャスト デンタルラボラトリー テクニカルドレクター
アメリカンソメクラフト社 リサーチ ドレクター
- 1972年 3月
- 歯科卒後研修センター クワタカレッジ 校長
- 1980年 10月
- アメリカ ワシントン州 名誉州民賞 授与
アメリカ ワシントン州 親善大使賞 授与
アメリカ ワシントン州 ゼネラル賞 授与
- 1981年 9月
- アメリカ ボストン大学歯学部 客員教授 就任
- 1981年 5月
- 世界セラミク学会 (ISDC)フェローメンバー 副会長
- 1982年 8月
- アメリカ歯科審美学会 ( AAED) フェローメンバー
- 1982年 4月
- 日本歯科技工士会 認定講師
- 1983年 10月
- 国際歯科学士会 ( ICD) 名誉会員
- 1985年 10月
- アメリカ歯科審美協会 ( ASDA ) フェローメンバー
- 1989年~
1999年 - 日本歯科技工学会 常任理事
- 1990年
- 日本歯科審美学会 常任理事
- 1990年~
1993年 - 日本歯科理工学会 評議員
- 1990年 7月
- 韓国歯科審美学会 ( KAED) 名誉会員
- 1990年 7月
- 韓国歯科技工学会 (KADT) 名誉会員
- 1993年 11月
- 日本歯科色彩学会 常任理事
- 1999年 4月
- 日本歯科審美学会 副会長
- 2000年 4月
- 中国 天津医科大学 客員教授
- 2002年 4月
- 愛歯技工専門学校 学校長
- 2013年 12月
- 愛歯技工専門学校 名誉校長
- ☆2025年4月
- 日本歯科大学 東京短期大学に『桑田正博記念室』完成予定
歯科技工士になったきっかけは?
父が京都大学で教鞭を執っており、4人兄弟の長男だったこともあって父と同じ教育者になるべく東大を目指すことを課せられていました。私自身は建築家になりたかったので、父に対してかなり反抗していました。
父との折り合いの悪さは有名で、母方の叔父の耳にも入りました。叔父は私の未熟さを見て「世の中をもっと知るべきだ」と愛歯技工専門学校の理事長を紹介してくれました。社会勉強のつもりだったのでしょうね。
話半分に理事長の話を聞く生意気な自分に、彼は熱く歯科技工士の重要性と国家資格化への思いを語ってくれました。
当時、世界に歯科技工士の国家資格は存在していなかったんですよ。
でも、理事長は私にこう言ったのです。「君みたいな人は帰れ」
父だけでなく、大人全般に対して反発心があることを彼は見抜いたんでしょうね。あれだけ歯科技工士の未来を変えねばならないと熱く語ってくれたのに。
私は帰ってからずっと考え続けました。本当に歯科技工の世界を変えられるなら、やるべきなんじゃないだろうかと。そして私は歯科技工士の道を歩む決断をしたのです。
今考えなおしてもあの時の決断は人生最高の決断でした。
父には勘当されてしまいましたが、全寮制だったので苦ではありませんでした。母が時々お金を届けてくれたし、叔父も賛成してくれました。
私が学校を卒業する前に法律化が叶い、国家資格化されました。特例として取得したんです。歯科技工士が国家資格化された瞬間に立ち会ったことになります。
私は歯科技工士117号です。今何万人もいる歯科技工士の中でも最古参の一人ですね(笑)
デュボワとの出会いは?
私が渡米した後、苦学の末「金属焼付ポーセレン」(※)を開発して世界を飛び回るようになってからしばらくして…そう1988年でした。
アメリカ審美学会が初めてオープンミーティングを行った際、記念講演として私が登壇したのですが、それを聞いていた多くの日本人歯科関係者の一人に若かりし頃の中原先生がいたのです。
彼の持つ誰よりも強い眼差しが印象的でしたね。
帰国後、突然電話があったんですよ。それから25年ずっとお付き合いしてます。
※:桑田氏は若くして渡米し、今日の歯科会の重鎮となるメンバーと共に学び、金属に白い陶材を焼き付ける技術「金属焼付ポーセレン」を開発。世界にその技術を広め、歯科技工の技術革新に貢献。今なお歯科技工の大家として第一線で活躍している。
デュボワと他の歯科との違いは?
中原先生の個性なのかな。
審美歯科を普及させたいという強い思いがありますよね。
そして何より発想が違うんですね。医師であれば通常のセオリーを踏むところを、彼はそのセオリーすら疑うのです。もっと良いやり方をいつも模索している。オリジナリティがあるんですね。
それはデュボワに色濃く反映されていて、結果的に通常の歯科と全く違いますよね。常に向上心や変革を求めているんです。決してセオリーを良しとしない。
事実、私は今度新しい技術を学会発表するのですが、その施術を中原先生にお任せしています。私の歯自体も中原先生にすべてお任せしているんですよ。
これが発表されれば、また歯科の歴史に新しい1ページが刻まれることになるでしょう。
歯科界や歯科技工の未来について
日本人の技術力は世界一なのは間違いないんです。先日行われた歯科技工の世界大会で1位2位が日本人だったんですね。
実はあまり知られていないのですが、日本は世界ではじめて歯科技工士を国家資格にできた国なんです。これは誇り高き偉業です。
私自身、その誇りを胸にずっと働いてきました。
新しい技術の開発や、優れた歯科模型を作り広めることや、世界各地での講演活動、国際歯科審美学会(IFED)の立ち上げなど歯科技工のリーダーシップを執ってきたつもりです。意志あるところに道あり、ですね。
一方、日本の歯科界はまだまだ縦割りです。
各職域で総合的な歩み寄りが必要だと思います。歯科医、衛生士、歯科技工士なども関係なく並列で進める必要があります。歯科技工士を世界で初めて国家資格化した偉業を成し得た我々日本人なら、きっとできるはずです。
関連情報
- 著書
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- 金属焼付ポーセレンの理論と実際 医歯薬出版 1977年
- セラモメタルテクノロジー Ⅰ 医歯薬出版 1982年
- セラモメタルテクノロジー Ⅱ 医歯薬出版 1983年
- セラモメタルそのデザインと構造 医歯薬出版 1992年
- ザ ハーモナイズト セラミック グラフィティー 医歯薬出版 1995年